【副住職】佐藤 純覚(さとう すみさと)
■人々の故郷のような場所になりたい
樹覚寺の山号が、明石山であることから、「あけしの郷 樹覚寺」という呼び名を付けました。皆さんにとって故郷のような場所であるようにという思いを込めています。昭和、特に戦前までの足利の街は人口も多く、多くのご門徒に支えられてきました。多くは、近隣にお住まいの方々でした。
しかし、平成になり、他府県に移られる方も目立つようになり、お彼岸やお盆などになるとお墓のあるこの街に戻ってくる若い世代も多くなりました。故郷がない人も増えています。そうした方々にとっての寄りどころ、故郷のような場所でありたいと思っています。
■その方のそのままのあり方でいい
お寺に来てもお墓のある山の上まで歩いていくのが難しくなったとおっしゃる高齢の方や、なかなかお参りできず、心苦しく思っていると口にされる若い方がいらっしゃいます。またお参りすることで気持ちがすっとした、心穏やかになったと笑顔で話される方もおられます。
そうした方々に私がお話するのは、「あなたが今できることをしてくだされば、それでいい」ということです。お墓まで登ることができなければ、下から手を合わせてくださればいいですし、なかなかお参りできずとも、来られるときに来てくださればとお話します。お参りしてくださることで心穏やかになったなら、ぜひまたいらしてくださいとお伝えします。
どの方の、どのあり方であってもいいのです。お寺に来て、何か「安心したな」と思ってくださればと思いますし、また帰ってこようと思っていただくことが、このお寺の役割ではないかと思っています。
■声を出す、音楽に触れることにご縁
「お寺の音楽会」と称して、年に一度、和太鼓の演奏会などを行っていますが、振り返れば、私自身、音楽や声を出すことと縁のある人生を送ってきたように思います。
僧侶としての勉強をするために行った龍谷大学で、楽しそうな様子に惹かれて入ったのが、合唱のサークルでした。4年間サークル仲間たちと楽しい時間を過ごしました。卒業後、サークルの先輩の縁で「勤式指導所(ごんしきしどうしょ)」というお経を称えるお勤めや儀式作法などの御堂衆養成所に入ります。
その後、本山・西本願寺の式務に奉職することに。声明(しょうみょう)を称えることに精進し、龍笛や笙といった雅楽の奥深さに触れることになりました。親鸞聖人750回の大遠忌に、中心になってお勤めできたことは、今もおつとめの際の大きな自信になっています。
お参りくださる皆さんには背中を見せてお勤めをしますが、後ろ姿で伝道する、声明で体現するような気持ちで、今も仏様の前に座っています。
ちなみに、ミュージカルや音楽が大好きな若坊守とは合唱部時代に知り合ったこともあり、子どもたちも、地域の市民参加型のミュージカルに参加するなど、音楽好きを受け継ぎました。声を出すこと、音楽に触れることに縁の深い家族かもしれないですね(笑)。