■「楽しく、仲良く、元気よく」
私が日々意識しているのは、「楽しく、仲良く、元気よく」ということです。誰に教わったわけではありませんが、子どもの頃からそのように考えていました。やはり、人と人が関わるところや、家族の間には、笑いがあって明るいほうがいい。そういう場に人は寄ってくるものです。永稱寺も法要やイベントなど、皆さんが集いたくなる明るい場をつくれたらと思っています。
仏教には一般に難しく感じる話も多いです。そうした仏教の専門的なお話は、「法話会」などに来ていただいた先生方にお任せし、私自身はそういう難しい言葉なしに、皆さんと会話するようにしています。
ときには、悩みごとを抱えてこちらにいらっしゃる方もおられます。ずいぶん以前のことですが、若い男性がお墓の前で大変辛そうな顔をされていたことがありました。お話を聞くと、「僕はおばあちゃん子だったのですが、おばあちゃんが亡くなってしまった」と言うのです。「でもお祖母様は仏様になったんだろう?」と聞くと、うんと頷いて「でも、おばあちゃんに会いたいし、声が聞きたい」と、膝を抱えて涙ぐんでらっしゃいます。そこで私は「ビール瓶を見たことがあるか?」と聞きました。「ビール瓶は正面から見るとラベルが貼ってある。後面からは、そのラベルは見ることができないと思うだろう? でも、よく目を凝らすと、後ろからでもうっすらとラベルの文字は読めるんだよ。何事も漠然と一方向から見るのではなくて、いろんな方向から見てみると、目の前がずいぶん変わってくる。今まで気づかなかったことが見えてくるよ」と伝えました。そんな話をするうちに男性は笑い始め、少し落ち着いた様子で帰っていきました。それから10年〜15年ほど経ったころ、この男性が「ご住職、覚えてらっしゃいますか?」と、私を訪ねてきてくれました。当時したのは、普通の言葉での会話でした。しかし、こうした言葉だからこそ伝わる思いがあるのかもしれません。
■100年先も御門徒が集まるお寺に
私は、37歳で住職になってから今まで、ずっとお寺の修繕・改修ばかりをしてきたような気がします。墓地、お堂など建物すべて、鐘つき堂の補修修復などを続けてきて、ようやく落ち着いたところです。
歴史のあるお寺ですから、私が住職になった頃には、床下を白蟻に食べられているなど、建物はかなり傷んでいる状態でした。また墓地は、水はけが悪く雨が降ると水が溜まり、お墓の通路が狭く、車椅子の方やお年寄りにはお参りが難しい状態でした。それらを修繕し、お墓の前まで手を合わせに行けるよう改修しました。
前住職の父は、どちらかというと歴史あるものには手を触れず、できるだけそのままにという思いがあったようです。しかし、100年先も門徒の皆様が集まってくださるお寺であってほしいと考えると、古いものを大切にしながらも、時代の流れにあわせて新しいものを取り入れていれていかなくてはなりません。これも阿弥陀様からいただいたお役目と思い、一つひとつ取り組んできました。私は、元来「みんなで集う」というのが好きなんですね。ぜひ新しい御門徒さんにお越しいただきたいですし、私の代のあとも、御門徒の皆さんにとって心の拠り所のような場所になればと思いますね。