【住職】北村 信也(きたむらしんや)
■阿弥陀様のご本願を、いま再び深く考える
鹿児島の稱讃寺の次男として生まれた私は、将来は僧侶にと、中学生ぐらいまでは考えていました。しかし、その後その気持ちは薄れていき、再び僧侶になることを意識したのは、大学に入学してからのことだったと思います。専攻したのが真宗学科で、クラブは宗教教育部だったことから、実家が浄土真宗の寺院だという友人も多く、私も少しずつ影響を受けていったのだと思います。
それから、大学院で学ぶうちに、私自身も阿弥陀さまのご本願を親鸞聖人をもっと知りたいと思いました。その後、本願寺宗務所に6年奉職し、差別をはじめ、非戦平和等、社会問題への取り組みを知らされました。また築地本願寺にも6年奉職し、法務の意義を知らされました。机上だけでなく、社会とのかかわりの中で、学ぶうちに、あらためて親鸞聖人という方の社会思潮に迎合しない姿勢、また普遍的な教え(浄土真宗のお念仏)に魅了されました。
築地本願寺が「めざせ!100万人門信徒」を掲げたことに賛同して、その一端を担おうとの思いから、都市開教で現在の足立区の場所を拠点に、地域の役員をつとめながら、市民に寄り添い社会地域の福祉に努める「民生委員」の活動を18年続けました。また、ターミナルケアに関わりたいと思い「浄土真宗 東京ビハーラ」の活動に20年間、参画してまいりました。
そうした取り組みに携わり、また住職として過ごす日々の中で、ここ数年は再び阿弥陀さまのご本願について、深く聞思していきたいと思うようになりました。親鸞聖人は、現代の私たちにどのようなことを言わんとしておられるのか。『教行信証』や『歎異抄』をはじめ、ご聖教の真の素晴らしさを私自身は本当に理解しているのか。本当にしっくりと腹に落ちる解釈ができているのか、自分に都合良く解釈しているに過ぎないのではと、反省します。直接、阿弥陀さまのご本願を聞けない、”疑情”しか持ち得てない私は、親鸞聖人をはじめとする浄土真宗のお念仏に帰依された七高僧のお言葉を信じる以外に阿弥陀さまの大きな慈悲と智慧を味わう術はないのでしょう。(唯可信斯高僧説)
■毎月寺報を発行、いつでもどこでも参拝システムも導入
布教所を開設する2003年1月から、毎月欠かさず寺報を発行しています。時節や時事、法要行事と組み合わせながら、今このとき私が感じたことなどについて記しています。できるだけわかりやすいよう、読みやすいよう心がけていますが、”難しい”とのコメント(難しくしているのは、私自身が本当は理解していない証なのでしょう)を頂きますが、”楽しみにしている”とのお言葉に励まされ、発行が多少遅れても作成してきたことだけは、”やった感”があり、続けられています。当寺院のウェブサイトからも読んでいただけますので、ご関心のある方は是非開いてみてください。
また、当寺院では、外からの参拝のシステムを導入しました。これはスマートフォンの防犯カメラのアプリによって、リアルタイムにお寺の様子を見ることができるというものです。このシステムを介して、ご参拝が難しいご門徒様も浄土真宗に興味を持たれている方も阿弥陀さまの前で手を合わせることができ、法話会にも参加することが可能になります。なかなかお寺に足を運ぶことが難しいとお思いの方にも、こうしたシステムを利用して、ご本尊に手を合わせていただけたらという思いです。このアプリを取得するには、当寺院のウェブサイトをご覧ください
寺報をお届けするのも、遠隔参拝システムも、その根本には、ご門徒様とともに阿弥陀さまのお慈悲を味わっていく場を、日々の生活のなかでつくりたいという思いがあります。現代の社会を生きる私たちには、ままならないこともたくさんあります。しかし、阿弥陀さまは、私たち誰一人もらすことなく、大切に見守ってくださっています。「南無阿弥陀仏」のお念仏を通してそのことを聞き続ける(相続する)以外にないのかと思います。私自身、真実の教え(浄土真宗のお念仏)についてさらに聞思し、親鸞聖人その方を信じて参りたいと思います。