1580(天正8)年、安土桃山時代、京都 嵯峨野の二尊院にいた嵯峨存諦が、浄土真宗の教えに臣従し、御本山の命を受けて、箕郷町(群馬県)のご城下に寺院を建立したのが、覚法寺の始まりだとされる。その後、高崎に城が築かれ、覚法寺も場を移した。
確かな資料が現存していないのは、寺院が何度か火災を経験しているためで、特に幕末の火災で本堂のほとんどを消失。当時の住職によって火災から守られた御本尊様と、七高僧、聖徳太子のお掛け軸だけが、建立当時のまま残されている。
幕末以降、再建された本堂だが、当時あったのは現在道路のある場所。1978(昭和53)年、都市計画によりお寺を移動させる案が浮上。180 度回転させながら25m後ろまで曳家によって移したのだ。大きな伽藍をそのまま曳家するという計画は、当時、大手新聞によって特集を組まれるほどの一大プロジェクトだった。
その後、鐘楼堂、山門が建てられた。さらに2013(平成25)年には、傷みの目立つようになっていた本堂の屋根、内陣の極彩色などの三か年に及ぶ修復を終え、落慶法要を迎え、現在に至っている。
安土桃山時代より姿を変えてきた覚法寺。代々の住職とご門徒の力によって大切に守られてきた歴史がある。