【住職】艸香 雄道(くさか ゆうどう)
■僧侶になることを決めた、父が泣いた日
1928(昭和3)年生まれの父は、幼いときに父親(私の祖父)を亡くし、10歳のときに西蓮寺を継ぎました。まだお経を読むこともままならない子どもだった父は、ご門徒から正信念仏偈を習うなどしてこのお寺を守った、大変な苦労人でした。
苦労に打ち勝つ強さゆえか、家族から見ると大変厳しく恐い人物だった父。そんな父が初めて涙を流すのを見た日がありました。私が18歳のときのことです。私は僧侶の資格を取ることができる大学に合格したものの、歴史が好きだったため、別の大学を志望し「浪人させてほしい」と話をしました。その時、「そのまま僧侶の資格が取れる大学に進んでくれないか」と言いながら、父が泣いたのです。
その姿は、私の心に響きました。父の想いがぐっと伝わってくるようでした。私はそのまま僧侶の資格が取れる大学に進み、仏教史を選択。中学の歴史の教師を経て、父が住職の身をひくタイミングで再び浄土真宗について学び直し、4代目の住職となりました。
父が涙ながらに思いを伝えてくれた。そのことにより今があるように感じています。もし、父が私の将来について強制するようなことを言っていたら、反発をして、私はこの道に進まなかったのではないでしょうか。
■料理教室や公式LINEなどを通し、個と繋がる
もともと寺院というのは、江戸時代の頃から檀家制度によって維持されてきた歴史があります。しかし、関東の浄土真宗のお寺は、楫取寿子様のような熱心に信仰する人に動かされて、新たに開かれ、維持されてきました。つまり寺院は、個人の思いにより形をなしていくものだと思うのです。
かつては、親から子へと信仰の姿が受け継がれていました。しかし、核家族化などが進み、ご先祖から繋がる信仰を、子が知る機会は減ってしまいました。そのためお寺としてどう “個”に繋がることができるのかを考えています。
西蓮寺では、ウェブサイトやブログの運営、寺報『はすいけ』の発行だけでなく、「料理教室」や「オカリナ教室」を開催。また、公式LINEを立ち上げたり、Youtube配信を始めるなど、若い世代の皆さま一人ひとりに繋がるための取り組みを進めています。
■孤独感が強まっている時代だからこそ、お寺の役割がある
個人とつながる取り組みの背景には、個人の孤独に寄り添いたいという思いもあります。かつては、法事など寺の行事によって、家や家族の縦・横のつながりを意識させられました。しかし、現在は個人と個人がつながる時代。友だちであったり、先輩後輩や同僚、SNSなどを通した関係があるでしょう。しかし、そうした関係はときに不安定なもの。現代は孤独感が強まっている時代だと感じます。だからこそ寺院の役割があるのではないかと思うのです。
西蓮寺にお越しになる皆さんのお話には、できるだけ耳を傾けたいと思っています。僧侶というのは、教えを伝えたいと話しすぎる傾向があります。私もついついしゃべりすぎてしまう一人です(笑)。しかし、さまざまな方と接して感じるのは、話を聴いてほしいと願っている方がこれほど大勢いらっしゃるのかということです。悩みを解決することなどできませんが、できるだけ皆さんの話に耳を傾けるよう心がけています。