■どんなご縁も大切に
僕のことを知っている方はいないこの土地で、お寺を開所することになったとき、まずは人として僕を知り、親しんでもらわなくてはならないと考えました。入間市の人口は約15万人。15万人全員にご挨拶をするという気持ちで、日々を過ごそうと決めたのです。ご近所はもちろん、どこでどなたとすれ違っても、挨拶を欠かすことはありません。知らない人から急に「おはようございます」と声をかけられるわけですから、驚いたり、不審な表情を浮かべる方もいます。しかし、1年、2年、3年と経つと状況は少し変わってきますね。挨拶を交わす人たちも増え、超法寺を知ってくださる方も多くなりました。
今は、何事もオンラインやデジタルでできる時代です。だからこそ、互いに直接顔を合わせて言葉を交わす、温度が感じられるということはとても大切なこと。そうすることで、僕という人間について、伝わるものがあると思うのです。ご縁があったから、今日この方とすれ違った。そう考え、どんな縁でも大切にしていきたいと思っています。
■お一人お一人の辛さ、悲しみにどう向き合うのか
仏様のみ教えを聞いて、伝え、少しでも皆さまの悲しみや苦しみに寄り添いたい。そんな思いで、朝のお勤めや月に一度の安穏法話会を行っています。
実は、僕にはこんな経験があります。ある日、僕の目の前で愛犬が交通事故にあい、そのまま息絶えてしまったのです。とても可愛がり、愛情を注いでいた愛犬の死は、大変苦しいものでした。今まで元気だった生命が、あっという間に動かなくなる。それがいかに無常なことか、劇的に知りました。それから法話をしながら自分で泣いてしまうような日が3日ほど続き、これではいけないと感じた僕はお休みをもらって京都に向かいました。西本願寺で法話をお聴聞したのです。一週間、毎日聞法会館総会所に座り、法話に耳を傾け、たくさん涙を流しました。そのおかげで僕は立ち直ることができました。
この経験があって、自分に問いかけました。今まで僕は“無常”の本当の意味をわかっていただろうか? 法話をする際、本当に人の心に寄り添えていただろうか。ひとりよがりになってはいなかったか? そして、人はいろいろな思いを抱えてお寺にお越しになり、その場に座っておいでであることを、布教使として決して忘れてはいけないと思うようになりました。超法寺は、小さなお寺です。だからこそ、お一人お一人の辛さ、悲しみにどう寄り添っていくのか。浄土真宗の僧侶として何ができるのか。そのことに向き合っていたいと考えています。