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かわごえざん むりょうじゅいん しょうじょうじ川越山 無量寿院 正浄寺

大田原の、のどかな風景の中にある正浄寺。総欅(けやき)造りの本堂は、明治時代初期に門徒たちが箒川(ほうきがわ)上流の塩原温泉の方まで行き、木を切って川で運んで10年の歳月をかけて建立したそうだ。籠彫(かごぼり)の牡丹や獅子で装飾された端正な姿が美しい。

正浄寺は雅楽が有名で、貴重な民俗芸能として栃木県と大田原市の無形文化財に指定されている。住職の西山良智(りょうち)氏は、20年余りにわたり、近所の佐久山(さくやま)小学校に行き、龍笛(りゅうてき)や笙(しょう)などを教えている。「指導が続いているのは、私が楽しいからです。遊んでいるんです」と目を細めた。

また、正浄寺には、親鸞聖人と箒川にまつわる言い伝えが残っている。住職がその話を語ると、ファンタジックな映像が目に浮かぶようだった。

歴史

鎌倉時代の1214(建保2)年、親鸞聖人が箒川の川端にあった孫八(まごはち)の家に泊まり、帰り際に孫八に阿弥陀如来のご絵像を授けたという。
このことに関して不思議な伝承が残っている。

親鸞聖人と布教の一行が東北地方を巡っていた時のこと。箒川が洪水で渡れなかったので、川端の孫八という人の家に泊まった。彼は子を亡くしたばかりで、親鸞聖人から阿弥陀様のみ教えを聞き、ありがたく思ったという。ご一行が出発し箒川を渡った時、孫八は別れを惜しみ、川越しに「形見をいただけませんか~」と頼んだ。すると親鸞聖人が「何か布切れを持ってまいれ~」とおっしゃるので、孫八は家から布を持ってきて元の場所に立った。親鸞聖人が川の向こうから「南無阿弥陀仏」と称え、筆をとって空に何かを描くと、孫八の布切れに阿弥陀様の鮮やかなご絵像が現れたという。
このご尊像が「川越の阿弥陀様」と呼ばれている。

「川越の阿弥陀様」を安置するために孫八が小さなお堂を建てたのが、正浄寺の起源と言われている。
現住職の西山良智(りょうち)氏は、孫八から数えて21代目の堂守で、中興の開祖である源慶から数えて7代目となる。

孫八が建立したお堂には、本願寺2代目の如信上人、3代覚如上人、8代蓮如上人が参拝している。お堂は孫八の子孫が代々継承していたが、孫八から数えて8代の後、衰微した。室町時代の1469(文明元)年には、釈霊生(れいしょう)が堂宇を建立したが、その後また衰退したと伝えられている。

江戸時代の1798(寛政10)年、佐久山領主の福原内匠(たくみ)資明(すけあき)が、お寺を再興した。
これについても伝承がある。

領主の福原内匠資明の夢枕に阿弥陀様が出てきて「川越の阿弥陀様が売られてしまった」と告げた。家来に調査させ「川越の阿弥陀様」を買い戻して、正浄寺の現在の場所にお寺を建てて安置した。資明はお寺に住職が必要だと考え築地本願寺に依頼したところ、京都西本願寺から西山源慶(げんけい)が派遣された。正浄寺では源慶を中興の開祖としている。

「川越の阿弥陀様」はご本尊の裏の扉の中に安置されている。今ではかなり黒ずんでいて、光に弱いため滅多に開帳されないが、「2023年親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年のご法要ではご開帳させていただきたいです。」と住職。

また本堂正面の彫刻は阿久津仁吉の手によるものだ。越後で生まれ、会津で宮大工を学んだ後、佐久山阿久津家の養子となり、佐久山近郷に名作を残した。
階段上の籠彫(かごぼり)の牡丹一対は、3年の月日を要した大作。籠彫とは面の外側だけでなく、内部まで彫刻して立体的に彫り上げる技法のこと。親子抱龍(だきりゅう)や獅子一対も、意匠を凝らした素晴らしい作品だ。

住職インタビュー

■親鸞聖人のお心をわかりやすく伝えたい

法政大学4年生の時に得度をしました。姉が2人いますが嫁いでいきましたし「いずれはお寺を継がないと」と思っていました。
まず京都の中央仏教学院で本科と研究科を学び、勤式(ごんしき)指導所でお経の勉強をしました。ここで坊守(=妻)と出会い、結婚しました。

結婚後、ご法話ができるようになりたいと思い、本願寺伝道院で3カ月寮生活をして勉強しました。僧侶のフルコースのように勉強したのは、できる限りのことはやりたい、と思ったからです。

今でもご法話は難しいと思っています。現代に合わせて、人に応じて機に応じて、親鸞聖人のお心をお話するわけです。ご法話をする人のことを浄土真宗では「布教使(ふきょうし)」といいますが、「師」ではなく、「使」と書きます。これは親鸞聖人のみ教えのお取次ぎをするので、自分が教えるのではなく「使い」という漢字を使用します。

難解な話をしてもわかってもらえないので優しい言葉で話すことを心がけています。しかし一方で、親鸞さまのお心から外れてはいけない。悩みながらご法話をしています。

 

■前住職の活動を継いで

父である前住職の良依(りょうい)は、地域のための活動に熱心でした。民生委員や刑務所の教誨師(きょうかいし)、保護司などを引き受け、公民館での講演なども活発に行っていました。
私もお話をいただき、ここ15年くらい保護司をつとめています。刑務所から出た方の更生や再犯防止に貢献できたら、と考えています。

しかし「人を更生させる」なんてできないし、とんでもない、という思いもあります。私としては同じ人間として話を聞いて親身になって考える、という感じです。往訪と来訪があって行き来をしながら面接を重ねていきますが、気心がわかってくる時期があります。寄り添っていきたいと思っています。

 

■門徒が親から子へと伝承してきた雅楽

正浄寺の雅楽は、江戸時代から門徒の方々によって親から子へと伝承してきたものです。

私は、勤式(ごんしき)指導所で学んだ龍笛(りゅうてき)が専門です。2000(平成12)年から、佐久山小学校に週1回、雅楽を教えに行くようになり今でも続いています。雅楽は小さい頃から聞いていたので、専門ではない篳篥(ひちりき)や笙(しょう)も、見よう見まねで吹けるようになりました。報恩講と春秋のお彼岸のご法要では、門徒さん中心の楽人と小学生の雅楽部が一緒に奏楽しています。

雅楽が無形文化財に指定されているので補助金がありますが、それでもそんなにお金がないので、小学生の衣装などは門徒さんの協力により座布団の生地を使って手作りするなど、工夫しています。楽しいですよ。

今年の国体は栃木県で開催されるのですが、正浄寺の雅楽と小学生の雅楽部は開会式で映像出演します。

葬儀・法事・法要

葬儀、各種法要ともに60人程度可能。住職は他の式場でも、今までご縁のなかった方でも、引き受けてくれる。
「最近は、法事や法要で、『参拝カード』を配っています。毎月、親鸞聖人様のお言葉を選んで書いて、デザインを工夫して作っています」と、住職は笑顔を見せた。

お墓

墓苑は、本堂から車で2 分のところにある。
冥加金などはお寺に相談を。

【一般墓】
木々に囲まれた日当たりの良い静かな墓苑。いつでも分譲可能。

【合同墓】
・やすらぎの墓
・清咲殿
法名と俗名を銘板に刻むことができる。
※合同墓は年間管理費不要。毎月墓前にて読経。

イベント情報

常例法座(毎月16日10時半 ※4/11月は除く)

正信偈の読経後住職がご法話をしてみんなでお食事をする会。
どなたでも参加可能。

石窯ピザの会(毎年5月16日と10月16日)

崩れた石塀の再利用で、門徒さんの石屋さんが窯を作り、ピザ作りが得意な門徒さんの協力で始まった会。仏具磨きやお掃除をした後、境内にテーブルを出してみんなでピザやうどんなどをいただく。コロナ禍で最近は中止になっていたが、状況次第でこの10月には開催予定だ。

ボーリング大会(7月)

仏教青壮年会で主催している。住職もたまに参加するという。「門徒さんと、いろいろなことを一緒にやるのがとても大切だと思っています。ともに考え、ともに悩み、ともに喜ぶ。さまざまな形で、これからもずっと続けていきます」と話してくれた。

寺院情報

寺名(ふりがな) 川越山 無量寿院 正浄寺 (かわごえざん むりょうじゅいん しょうじょうじ)
住職 西山 良智
郵便番号 〒324-0032
住所 栃木県大田原市佐久山1301
電話番号 0287-28-0051
FAX番号 0287-28-3181
ホームページ https://www.syoujyouji.net/
交通

【電車】
・新幹線の場合
東北新幹線「那須塩原駅」下車、タクシーで25分

・在来線の場合
JR宇都宮線「野崎駅」下車、タクシーで10分

【車】
東北自動車道・矢板ICより車で15分、西那須野塩原ICより車で20分

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