安楽寺の開基は、唯誓(ゆいせい)と言い伝えられている。唯誓は近江国(滋賀県)の住人で、元は澤田四朗高信といい、近江国で天台宗の僧侶となった後、全国各地を巡りながら修行を続け、1216(建保4)年、常陸国大戸村椿阪(現在の東茨城郡茨城町大戸)に天台宗浄土院として草庵を構えた。その後、笠間にいらしていた親鸞聖人の影響により、本願力回向(ほんがんりきえこう=南無阿弥陀仏(阿弥陀如来)のはたらきにより凡夫が極楽浄土に往生し仏となること)を中心とした念仏の教えこそ、自らが救われる教えだと想いを改め門弟となり、唯誓という名となった。
1221(承久3)年、浄土院を改め、浄土院安楽寺と称し、以降400年余りの間、仏法の道場として栄えた。
1625(寛永2)年、水戸藩の意向により、大戸村から現在の地に移転した。当時の門徒は、水戸藩家臣3人、町家30、農家32と記録されている。移転当時は仮堂だったが、1688(元禄元)年に本堂が建立され、ついで1770(明和7)年に、庫裡と聖徳太子堂が完成。さらに梵鐘堂が建立され、全てが整ったのは、第16世住職・宗源の時であった。
1945(昭和20)年8月2日、第二次世界大戦末期の水戸空襲で、寺院の一切を焼失。1946(昭和21)年に、仮の本堂と庫裏が建てられた。
1963(昭和38)年8月に、「新しい時代にふさわしい、モダンで、二度と燃えないお寺にしたい」という想いから、現在のコンクリート製の本堂の再建が始まり1965(昭和40)年4月に、本堂再建落慶法要を執り行った。
「阿弥陀三尊像」の絵図は、第二次世界大戦の空襲の際には、ご門徒宅にあり、戦災を免れたもの。江戸時代後期の作。修復して額装され、大変美しい。