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はっちょうさん みょうぜんじ八丁山 妙善寺

世田谷区北烏山に、26もの寺院が軒を連ねる寺町がある。その一画を占める妙善寺は、親鸞聖人の弟子が伊勢国(現・三重県)で開基した、由緒あるお寺だ。

江戸時代に八丁堀に移転したことから、名称が「八丁山」となったという。その後、築地への移転で、築地市場の魚河岸の方々が、数多く門徒になったそうだ。関東大震災で罹災し、1927(昭和2)年に、ここ北烏山で再建された。移転後も築地時代のご縁は続き、墓地には築地市場で活躍していた人々のお墓がある。現在も門徒の方々とのつながりを大切にしながら寺院活動を継続している。

烏山寺町は、関東大震災の後、築地、浅草、本所、荒川などから移転してきた寺院が集まったのが始まりだという。「小京都」と呼ばれるのがうなずけるような、閑静で緑豊かなエリアだ。妙善寺はその中で、堂々とした端正なたたずまいを見せる。

歴史

妙善寺は、鎌倉時代の初期、親鸞聖人の弟子・菅原正円(しょうえん)が伊勢国に建てた草庵が始まりと伝わる。正円は鎌倉時代の武将・北条経時の家臣であったが、1248(宝治2)年に、出家して親鸞聖人の弟子になった。
その後、江戸時代初期の1600(慶長5)年に、菅原願正により八丁堀に移転した。しかし、1657(明暦3)年に発生した明暦の大火で本堂、その他を焼失したため、わずか50余年で八丁堀を離れ、築地に移転。築地本願寺の末寺として、寺中に入った。
移転後は、主に江戸の魚河岸で働く仲買関係の方々に布教活動を行い、順調に発展した。
しかし、1923(大正12)年の関東大震災で罹災。1927(昭和2)年、烏山の現在地に再建した。

第28代の寺崎教然(きょうねん)氏は、本願寺の名誉知堂(めいよちどう=勤行を極めたことを認められた人の最高位)として、西本願寺第23代宗主(前々門主)・大谷光照(こうしょう)様前々門様の代務でお勤めをしたこともあるそうだ。その縁で、光照様が妙善寺を訪れることになり、お迎えのために教然氏は、大急ぎで境内に茶室を建てたという。なお、光照様は、昭和天皇の従弟(いとこ)にあたる。

境内には、築地魚河岸の墓地や、落語家7代目古今亭志ん馬、また江戸時代末期の戯作者として知られる為永春水の墓がある。春水は、1832(天保3)年頃から「春色梅暦(しゅんしょくうめごよみ)」「いろは文庫」などを書いて人気を集めた。しかし、風紀是正を目指す天保の改革の時に、江戸市民の色恋を題材とする作風を咎められ、手鎖50日の刑を受ける。これを苦にして深酒し、また、強度の神経症となり、1843(天保14)年、55歳で没した。春水の心酔者だった永井荷風は、妙善寺が築地にあった時代に、春水の墓に参拝に訪れていたという。

葬儀・法事・法要

葬儀の人数は、最大300人程度、法要は100人程度が可能。過去の宗派は不問。遺族・家族の控室あり。食事の手配も可能。
住職は他式場およびご門徒様のご自宅でも、出向いてくれる。

お墓

一般墓、合同墓、納骨堂がある。ご門徒様の過去の宗教・宗派は不問。
参拝可能時間は、通年7時30分~17時。
冥加金、お墓の年間管理費は要相談。

寺院情報

寺名(ふりがな) 八丁山 妙善寺 (はっちょうさん みょうぜんじ)
開門時間 7時30分~17時
郵便番号 〒157-0061
住所 東京都世田谷区北烏山5-12-1
電話番号 03-3300-2639
FAX番号 03-3300-2650
交通

【電車】
京王線「千歳烏山駅」から徒歩15分

【バス】
京王線「千歳烏山駅」より関東バス「久我山病院行き」で「寺院通四番」下車、徒歩3分
小田急バス「吉祥寺行き」で「ときわ橋」下車、徒歩3分

【車】
中央自動車道「高井戸IC」より約7分

駐車場 20台
地図