■出張所として、何もないところからスタート
駐車場だったこの土地に、お寺を建設することから始めました。1988(昭和63)年、バブルの勢いのある頃で、建築業者はみな多忙でした。たまたま、知り合いの大工さんに相談したところ「お寺を建てるとは、尊いことだ」と言って、引き受けてくれました。玄関脇にある喚鐘は、祖父が住職をしていた広島の教念寺から譲り受け、内陣の香炉は、やはり広島で、ダム建設により移転するお寺から頂戴しました。内陣脇壇下の天女のふすま絵は、ご縁があって、原爆の図を描いた丸木俊(とし)さんが描いてくれました。
最初は、電話一本、鳴りませんでした。しかし、電柱の広告を見た人などが、ぽつりぽつりと訪ねてくるようになりました。
何かお知らせをしないと、と考え、配布物を作ることにしました。それが「教念寺新報」です。最初はワープロで打って切り貼りして、印刷して。何もかも手作りでしたね。今では300号を越えています。
■何事も1人ではできない
お寺とは、仏様のみ教えを聞く場所です。私は親鸞聖人のありがたいお導きを、わかりやすく伝えていきたい。しかし、住職1人では何もできないと考えています。みんなが、自分のお寺として「支えよう」とする力がないと成り立っていきません。たとえば「ハンカチを広げてください」と言われたら、1人でできます。バスタオルでも、何とかできるでしょう。でもそれが、サッカーチームを応援するような巨大な旗になったら、どうでしょう。大きくて重くて、1人ではとてもとても広げることはできません。
お寺も同じことです。大勢で広げて支えて、保ち続けることが大切です。古くからの門徒の方、そして、新たに門徒になってくださる方、両方を大事にして、原点を見失わず、ぶれずに代々続けていきたいです。
■経典(きょうてん)の研究がライフワーク
今は亡くなられた、梯實圓(かけはしじつえん)先生のご講義に19年間通いました。梯先生は勧学(かんがく)、といって、学者として最高峰の方です。「梯先生は、親鸞聖人とお会いしたことがあるのかな?」とあるはずがないことまで想像してしまうほど、経典の全てに意味があることをお伝えくださいました。なんと奥深いのか、と思いました。
ご講義の音声データをテープでいただくことができ、パソコンに落としてあります。この文字起こしをライフワークにしたいと考え、少しずつ始めているのですが、聞き入ってしまって、タイピングの手が止まってしまうんです(笑)。
大学生の頃は、経典の授業に出ても、一番後ろの席で「早く終わらないかな」と思っているような普通の学生でした。仏法を知って憶えるだけで、食事にたとえるなら、丸飲みでした。しかし梯先生は、見事に料理の素材を組み合わせ、よくかんで味わうことを教えてくださいました。本当に、尊い存在でした。
今も月に一度ほど、築地本願寺の1室で、5、6人のメンバーで、経典の輪読会を続けています。