寛永4(1627)年に、江戸浅草御坊に林西が創建したといわれている。明暦3(1657)年の明暦の大火によって堂宇が焼け、築地に移転。さらに、築地に所在中の大正12(1923)年、関東大震災に遭い焼失。その後、現在の練馬区谷原の地に移った。
なお、10代目住職・羽田子雲は、幼少期より絵を描くことが好きで、江戸時代後期の絵師・岡本秋暉に弟子入りする程の画才の持ち主だった。堂内ロビーには、岡本秋暉との合作の複製が飾られている。
また、本堂が現在の形になったのは平成12(2000)年。それ以前は、前住職のお父様の実家が新潟だったご縁で、寺の建築を新潟の建築家に依頼したところ関東周辺では珍しい、新潟の急勾配の雪除け屋根が印象的な造りの本堂になった。建立当時、最寄の石神井公園駅から寺周辺までの1.5kmの距離間にはほぼ畑しかなかったため、辺りには宝林寺の屋根しか見えず、人々は宝林寺の屋根を目指してお参りに来たという。その後、屋根が老朽化してきたため、現在の形に建て直した。