法善寺の歴史は古く、開山当初は真言宗の寺であった。だが文明年間(1469~1486年)に本願寺派第8代御門主の蓮如上人が布教のため関東にやってきて、当時の住職だった法憧坊善性が、その教えに感銘を受けて浄土真宗に改宗したといわれる。このとき寺の名を住職の名前から2字をとって「法善寺」と改めたという。また山号の「流水山」は、その昔、三浦には名水で知られる井戸が5つあり、そのひとつである「吉井の井戸」が参道沿いにあったためだと伝わる。現住職で18代であり、副住職が継げば19代となる。
200年ほど前に建てられた本堂には、文明年間から伝わるという本尊の阿弥陀如来像が安置され、内陣の格天井には、葛飾北斎の弟子が描いたという美しい243枚の花の絵が飾られている。ただ、本堂は新築工事のため2019年8月から解体が始まり、その間は、現在の本堂の横にある仮本堂で葬儀・法要等が行われ、本尊と格天井は京都で修理保存される。