法正寺は、60年ほど前に本堂が火事になり、多くの記録が焼失したため、実際の起源は定かではない。しかし、以前の本堂を知る美順氏の父で前住職の、是宣(ぜせん)氏は「今の本堂には畳が敷いてあるけれど、火事になる前の本堂は板の間で、もっと薄暗かった。私はまだ子供だったけれど、暗闇にぼんやり浮かぶ甲冑が不気味でねえ。それも残念ながら火事で燃えてしまいましたけど、実は武田信玄のものだったそうです。どうやらこの寺は武田家の祈願所だったらしいですね」と、語る。境内の碑には「文明年中」と記されているため、これらの話をもとにすると少なくとも500年以上の歴史があると考えられる。不幸中の幸いか、鐘楼や太子堂、山門には火が移らず、当時の姿を残している。
このように長い歴史を持つ法正寺は、多くの歴史的著名人にゆかりがある。中でも有名なのは明治時代の女流作家樋口一葉だ。「一葉の小説『ゆく雲』にはこの近辺の地名が数多く記されているが、それは彼女の母方の菩提寺が法正寺だったからだそうだ。また、『雪の日』という小説には『法正寺と呼ぶ寺の離室(はなれ)を仮(かり)ずみなりけり』という文章も載っています」とは、美順氏。甲州市は、一葉にゆかりがある地を観光で巡るコースを紹介しているが、その道中には法正寺も含まれている。また、江戸時代後期の武士で、文明開化後に横浜で私塾「融貫塾(ゆうかんじゅく)」を開いた真下晩菘(ましもばんすう)は、一葉の祖父と親交があり、法正寺の寺子屋で学んでいた。山門には、彼の直筆の扁額も残されている。歴史探訪が好きな人には、たまらない場所ではないだろうか。