【住職】平井 裕善(ひらいゆうぜん)
■命の儚さに触れて、仏教の世界へ
私はもともと大阪生まれで、お寺とはゆかりのない一般家庭で育ちました。大学卒業後に仏教の世界に足を踏み入れましたが、きっかけは幼稚園の時に妹を亡くしたこと。自分より後から生まれたものが先に逝くなんて、おかしな事だと感じ、命の儚さに触れました。
中学2年生になった頃、教師からは「いい学校に進めば、安定した会社に入れて、いい人生になる」と言われたものの、積み重ねの教育に疑問を感じるようになりました。努力を積み重ねたところで、死んでしまえば終わりじゃないかと虚しく感じ、一時は不登校に。その後、高校、大学は楽しく過ごしましたが、大学卒業前に進むべき道を考えている時に妹や中学時代のことを思い出したのです。
人間はみんな、死というゴールに向かう。ゴールのことを知らずに、私はスタートを切れないなと。当初は何年かお坊さんをして、一般社会に帰るつもりだったのですが、気がつけば今に至ります。 中央仏教学院で学んでいる際に淨照寺から学びに来ていた妻と出会い、縁あって大月にやってきました。その後、勉強のために築地本願寺でお世話になり、現在も佃島分院で主管を務めながら、大月と東京を行き来しています。
田舎の山寺と都会の寺。さまざまな立ち位置から、いろんな経験を積むことができました。1000人の住職がいれば、お念佛を広めるための方法も1000通りある。住職の仕事に定年はなく、70歳、80歳でも現役が当たり前です。お念佛を広めるために自分の一生をかけられるなんて、素晴らしいお務めだと味わっています。
■地域発展に尽力しながら、寺の存在意義を高める
私はお寺の宝物は人だと考えています。どれだけ建物が立派でも、中身がスカスカでは意味がなく、まさにがらんどう。御門徒さんを大切にすることはもちろんですが、寺の人間も魅力的でなければいけません。私の場合は根幹となるのはお念佛。お念佛を広めるためにどうアプローチするかが住職の腕の見せ所です。
そして寺は親しみやすさと尊さが両立している場でありたいと思っています。いつ訪れても声をかければ誰かが反応してくれる親しみやすさがありつつ、お堂は尊い場所だなと感じてほしい。そのために庭を綺麗にしました。うちは自然の中にある昔ながらの寺で、吹き抜ける風もとても心地良い。山道を歩いてきて、庭を通り、お堂に入れば尊いなあと感じて、「なもあみだぶつ」と称える。それだけでお寺の意味があると思っています。
お寺に訪れるきっかけ作りとして、御朱印を始めました。御門徒さんにとっては「うちのお寺はこんなことをやっているよ」と話題にしてもらえればいい。寺はコンビニやスーパーのような必要性はありませんから、何もしないと忘れさられてしまいます。寺の存在意義を高めて、地域活性にもつなげていきたいと思っています。
最近は大月でも若い世代がカフェを始めたり、近隣地区の教員宿舎を活用したサテライトオフィスができるなど、変化があります。もっと若い人たちが地域に関心をもってもらうためにも、誰もが溶け込みやすい環境を作っていかないといけません。人のつながりづくりのために、若い世代の団体と協力して、様々な行事を行っております。今までにお寺で若い世代の交流会をしたこともあり、多くの人が関わることで地域も面白くなっていくと思っています。
淨照寺は昔からの地域のお寺で、かつては住職が子どもの名付け親にもなっていたそうです。地域交流や発展に尽力するのも住職としては大切なこと。ご縁があって淨照寺にやってきたので、もっと寺の魅力を高めて、次の代につなげていければ嬉しいです。