【住職】田中 久遠(たなか くおん)
■尊いご縁で
父は滋賀県彦根市出身、母は三重県菰野市の三重組の正念寺(三好家重臣今村源助義政開基)出身です。
両親は、関西出身ですので、関西弁を聞いて育ちました。ですから、関西出身の方とお話しすると、懐かしく思い、話が弾み親しくなります。関西出身の方たちやご法義の厚い地方出身の方達ともご縁を結んできました。
余談ですが、八王子市は戦国時代から室町時代の名将北条氏照(後北条第三代氏康の三男)の居城、八王子城址、滝山城址があり、最近の山城ブームで注目されています。ここ数年、私も山城に大変興味があり、八王子城址・滝山城址のほかに令和3年には本願寺との縁が深い村上水軍の能島城址に行ったり、全国の山城に登っています。興味のある方は私がご案内します。
■正しいみ教えを伝えたい
私が子供の頃、前住職は「どの道に進んでもいい」と言っており、特に職業について何も言いませんでした。ですから、私も将来は普通の会社員になろうかと思っていたのですが、私の高校時代は新しい宗教が多数生まれた時代でした。新しい宗教に入信していく同級生らを見て、自らが育った環境にある、伝統仏教、親鸞聖人のみ教えを伝えたいと考えるようになり、僧侶となる道を選びました。
築地本願寺での一番の思い出があります。私が5歳の頃、ダライ・ラマ法王14世とそのご親族が中国から亡命することになりました。法王のお兄様はアメリカに亡命することになりましたが、受け入れまでにはかなりの時間が必要でした。そこでチベットから日本の仏教教団に一時的に受け入れてほしいと連絡があったそうです。しかし、なかなか受け入れ先が見つかりませんでした。その話を聞いた当時の築地本願寺輪番である北畠教真輪番は、「もし日本で誰も受け入れなかったら、将来チベットの人々に、日本人は冷たい国民だと思われるかもしれない」と憂慮し、築地本願寺で法王のお兄様を受け入れることになりました。当時築地本願寺にいた前住職が、ご一行の担当責任者になりました。その後、法王のお兄様は何事もなく無事、アメリカに亡命されました。
それから年月が経ち、私が東洋大学大学院在学中にダライ・ラマ法王14世が初めて日本にお越しになりました。来日中はさまざまな寺院を訪問され、その中で築地本願寺にもいらっしゃり、本堂の余間で五体投地してお参りされました。。お参りの後、本堂入口で法王とアメリカから会いに来られた法王のお兄様が、前住職と話をする姿を目にしました。お兄様が法王に「お世話になった田中先生です。」と紹介すると、法王は前住職の手が痛くなるほど握り、目に涙を浮かべていました。私はとても感動し、今もその姿を鮮明に覚えています。