■役割の大きさに責任を感じつつ、日々勉強中
私はこの寺に生まれて、将来住職を継ぐことは意識していましたが、若い時にはいろいろ見て経験を重ねておきたい思いが強く、親の反対を押し切って龍谷大学でなく一般の大学に進みました。在学中に東京仏教学院を卒業し得度はしましたが、その後はDTPの仕事や小中学校のプールのメンテナンス、家具屋、看板屋などさまざまな仕事を経験しました。最後は飲食店を5年経営し、そこを閉めたのちに大正寺に戻って副住職となり、父が在職50年を迎えたのを機に4年前に住職を引き継ぎました。
住職は思った以上に大変な仕事で、父がしてきたことの重さを実感しながら、日々勉強させていただいております。多様化によって孤独を感じる人も増えている中、拠り所となるべきお寺の役割の大きさを感じています。また、今後お寺はご年配の方々だけの場ではなく、若い人の世代にもお寺に来ていただくための努力もしていかなければならないでしょう。そういう点で、一度お寺の業界の外からお寺を見ることができたのは、柔軟な視点を持つのに役立ったのではと思っています。
次の世代に向けて、今は私が指導者となってボーイスカウトの活動をしています。境内でテントを張ってキャンプをしたり、鼓隊の練習をしたり。そうすることで子どもの頃からお寺が身近な場所になってくれることを願っています。
■「帰るべき場所」に向かって、ともに人生を歩む
私自身もボーイスカウトで子どもの頃から自然に触れるのが好きだったので、現在も趣味で山登りをしており、休みには友人たちと北アルプスや八ヶ岳に足繁く通っています。時にはロープで断崖絶壁を登ったり、氷点下20℃を下回る雪山でテント泊をしたりもします。多くの山行を重ねるにつれ、幾度となく身の危険を感じたこともあります。
私を含め、山登りをされる方は、自分自身が山で死ぬとは思っていないでしょう。むしろ山で死なないためにさまざまな努力をされていることと思います。登山は登頂することが目的と思われがちですが、実は無事に家に「帰る」ことこそが大切です。山頂が目の前だったとしても、天候や体調次第では断念する決断が必要なのです。いくら知識や経験が豊富で万全の準備をしていても、自然は時に想像以上に恐ろしい顔を見せます。常に死と隣り合わせなのが登山の厳しさで、ニュースで流れる遭難事故は人ごとではなく、いつ私の身に起こるか分かりません。
私たちの人生も登山と同様に、いつ何が起こるか分かりません。蓮如上人は『御文章』の中で、「死の訪れはいつ襲ってくるかわからない、今日とも知らず、明日とも知らず」と仰せになっておられます。諸行無常の険しい山の真っただ中を歩いているのが、この私です。しかし、その私を照らし、間違いなく「帰る場所」に往き生まれることができるように阿弥陀さまが定めていてくださるのです。山でのように遭難する事なく、私が帰るべき場所「お浄土」に無事歩みを進めていけるのが、親鸞聖人が出遇われたお念仏申す人生なのです。この命はどこに向かって生きているのか、どこに帰るのか、命の帰る場所が見つからなかったら不安です。阿弥陀さまは「安心して浄土へ帰っておいで、我にまかせよ」と、念仏となり、呼び続けておられます。つらい事や苦しみ、悩みをたくさん抱えながらの日々、人生は山あり谷ありです。しかし、お寺で一人でも多くの方にお念仏に遇っていただき、誰にも代わることができない私の人生を、帰るべき場所「お浄土」へ向かって、門信徒の方々とともに生き抜かせていただく人生を歩んでいきたいと思っております。