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ゆうげんざん しょうぜんじ熊原山 正善寺

JR戸田駅西口から、北大通りを20分ほど歩き、住宅街に差し掛かるあたりに正善寺はある。ここは「都市開教」の一環で建てられた新しい寺院だ。

「都市開教」とは、人口が集中した都市で、浄土真宗本願寺派の教えと出会っていない人々への布教活動のこと。正善寺ができるまで、戸田市には古くからの寺院は様々あっても浄土真宗本願寺派の寺院は1ヶ寺もなかった。

住職の熊原博文氏は、0からのスタートだった当時から現在までを振り返り、「この地に来て住んで、気づきばかりでした。まさに現場仕事とでも言うべきですかね」と、笑う。熊原氏の気さくで穏やかな人柄も合わせて、ほっと一息つくことができる場所である。

歴史

正善寺の歴史は、熊原氏がこの地に立ってからの歴史そのものとも言える。

熊原氏は、築地本願寺の職員として長年勤めていたが、都市開教に従事する諸先輩の姿を見て、自身も参画しようと決意。ベッドタウンとして人が集まる街に選定を絞り人口増減や都心からのアクセス、周辺環境などのデータ分析、諸先輩の助言なども大きく加味し、決めたのが戸田市だった。

平成7(1995)年、現在とは少し離れた借りた一軒家を拠点として開所。しかし、外観はごく普通の貸家一軒家だったがゆえに、連絡を受けお参りに来られた方が、そのまま目の前を素通りしてしまうことも多々あった。そんな様子を目の当たりにし、教えを伝えるためには、小さくても建物や空間も重要だと気づいた熊原氏。

平成12(2000)年に現在の場所で本堂を建立。その後、土地を少し拡張して駐車場を設けた。毎月の法話会や季節法要またヨガ教室など行うようになった。参拝の増減はあるが「ご縁」を広げるための様々な活動と共に時の流れに合わせて少しずつ変化を続けている。

住職インタビュー

■寺と住職は教えを伝えるための役割を果たしている

よく勘違いをされるのですが、寺は住職やその家族のものではありません。寺の本堂には、ご本尊がありますね。浄土真宗は、阿弥陀如来の仏様がいらっしゃるわけです。つまり、浄土真宗の寺というのは阿弥陀如来の救いを共有する空間であり、住職であり家族はその空間建物を管理したり、教えを正しく伝えたりする役割を果たしている者ということになります。勿論、法事や法要行事を勤めることは大切ですが、その地域のなかに馴染む存在であることも大切です。

阿弥陀如来の仏様とは一言でいえば「慈悲による救いの仏様」です。その慈悲は私たち一人ひとりに向けられ、誰もが阿弥陀如来の慈しみのなかにあります。この仏様は、今私に届き宿って下さる功徳が「南無阿弥陀仏(ナモアミダブツ)」であり、私が「なんまんだぶつ・・・」と、念仏申す声の姿がそのまま仏様の存在です。阿弥陀如来は「生きとし生きるすべての命に届き宿り、必ず救う」と誓われました。救いを共に聴聞する道場が「浄土真宗」寺院であり、様々なご縁を通して人が集まり、ご縁がつながり広がる場所が寺なのです。

 

■誰に対しても平等に注がれる慈しみが南無阿弥陀仏の救い

浄土真宗の教えであり阿弥陀如来の救いは「生きとし生きる、すべての命を救う。一切衆生(イッサイシュジョウ) 摂取不捨(セッシュフシャ)」とあります。阿弥陀如来は、老若男女や、また持つ宗旨が違っていても、人間を包みつつ、全てのいのちに惜しみない慈悲を注ぐ救いの存在です。都市開教の現場では様々に新しいご縁を結びますが、残念ながらそのご縁がそのまま続くことには厳しい一面もあります。ご縁の人の諸事情はもとより寺院の歴史やもちろん住職の人柄等々も含め、当人には様々に沢山の選択肢があるからです。ご縁は大切にしつつも、去る人を追いかけません。

ご縁のなかで今も深く記憶する一つがあります。医師から残された時間がわずかしか無いことを告げられた方のご家族の希望で呼ばれ、病院で寝たきりの当人とのご縁です。その方は別の宗教の方と聞かされていましたが「どうしても、南無阿弥陀仏の意味を聴きたい」と希望され、縁あって私が呼ばれました。阿弥陀如来・南無阿弥陀仏の仏様の救いをゆっくりとお伝えすると、「ああ、よかった、よかった。ナモアミダブツナモアミダブツ」と、静かに念仏申されました。その方はその数日後に亡くなられ、その後ご家族が浄土真宗に改宗することはありませんでしたが、それでもいいと思います。本人が阿弥陀如来の慈悲にうなずき悦び、念仏申された事実があるからです。阿弥陀如来の救いを共に悦び合える人と出遇った私の悦びもありました。これもまた、ご縁なのです。

 

■緩くも温かみのある繋がりで長いご縁を育みゆく

残念ながら仏教や寺との縁が少ないことから、寺に足を運ぶことに敷居の高さを感じている方が多いのも事実だと思いますが、浄土真宗は、いい意味で緩いものです。いつも厳しく根詰めて学ばなければならないとか大きく活動しなければいけないということはありません。人との繋がりを大切にしつつ集まって必要なことをするといった、お互いを縛り過ぎない関係性が理想的だと思います。

例えば、当寺では、毎年1月1日に元旦会(がんたんえ)を勤めますが、毎年必ず顔を出してくれる青年がいます。今では妻・子供も一緒です。ある年に思い出話を語ってくれたことがあります。彼の家は母親が早くに亡くなり思春期の難しい時期に家族のコミュニケーションがうまく取れなく色々と問題も起こしたけれど、元旦会が好きで「ここへ来て僕は変わることができました」って言ってくれました。とても嬉しい言葉ですよね。彼のように、毎年1回だけど顔を出して仏様を中心とした時間を皆で過ごすだけでも安心がある。こうした緩くも温かみのあるご縁の輪を、もっと広げていきたいですね。

葬儀、法事・法要

葬儀や法事は「故人との繋がりのなかで、阿弥陀如来の救いを要として死別の悲しみを和らげ、共に救いに遇う場面」と考えている熊原氏。そして「仏事を勤めるときは、多少は別として人が集まります。それは、故人との縁を思う人がいる、と共に故人が人を集めてくれる何かがあることではないでしょうか」との縁を無駄にしない思いがある。

出来れば日頃から阿弥陀如来の救いを通して、生きる意義、そして死の意義を深め安心のなかで生活できるようご縁を深めることが最も大切と伝えている。

・本堂で葬儀や法事を勤めることができる。本堂の収容人数は40人ほど。待合室あり。
・式場、ご自宅、墓地へ赴くことも可能。

イベント情報

定例法話会(毎月1日、但し永代経5月・報恩講11月は別日)

毎月ご講師を招聘し法話を拝聴。法話のなかで同じ話題でも講師によって伝え方は様々。その違いの面白みも感じつつ楽しく聴聞していると熊原氏は語る。

元旦会(毎年1月1日元旦)

法要・住職年頭挨拶の後に前日から準備したおせちを振る舞い、くじびきやゲームなども織り交ぜながら参詣者と楽しむ新年会のようなイベント。家族連れはもちろん、ひとり暮らしの人も参詣。

盂蘭盆会・春秋彼岸会(盂蘭盆会毎年8月上旬・春3月秋9月)

8月上旬の盂蘭盆会では遠近各地の門信徒が合同で築地本願寺の本堂参拝し、別室にてご縁の方の盆法要を勤め法話聴聞。その後に弁当を食べて散会し、各々自由散策。年に一度の縁が他の地域から来た門信徒とのご縁が広がることも好評だ。春秋彼岸会は寺にて実施。法要・法話は熊原氏が勤める。

ヨガ教室(毎月第三木曜日)

インストラクターを招き、本堂にてヨガ教室。教室の冒頭は、熊原氏の法話でスタート。

寺院情報

寺名(ふりがな) 熊原山 正善寺 (ゆうげんざん しょうぜんじ)
住職 熊原 博文
郵便番号 〒335-0034
住所 埼玉県戸田市笹目2-17-11
電話番号 048-421-1190
交通

JR埼京線「戸田駅」駅から徒歩20分

戸田市コミュニティーバス トコバス「戸田駅」乗車(約15分)、「児童センター」下車すぐ

駐車場 10台
地図