■フリースクールの子供たちとの出会い
2018年から横浜のフリースクールの高校生たちにお話をさせていただいているんですが、寺とか宗教というものは、こういった子供たちの「逃げ場」でもあると考えています。だから私は、辛いことや苦しいことがあったときは、24時間いつでもいいから駆け込んできてくださいという気持ちでいるんですよ。
■「悪いことも、ご縁である」
こうした子供たちは、不登校になって引きこもった自分は失敗者だと思い込んでいるんですね。でも「悪人正機」ではないけれど、仏様から見たら私たち全員が悪人なんだよと話してあげると、少し表情が明るくなる。マイナスでしかないと思っていたことが、そんな経験をしたからこそわかることがあるんだ、プラスになるんだと気づかされたと感想文を書いてくれた子もいました。感謝の言葉を直接聞くことができ、私もうれしかったですね。悪いことも、悪いだけじゃない。それもまた、いろんなことに気づかせてくれる「ご縁」なんです。
■辛いときに「頑張れ」とは言わない
私は、宗教は人の前に出るものではないと思っています。隣にいるんだけれど、普段は感じない。でも辛いときや困ったときに、ふっと横を見たら手を差し伸べてくれる存在。そんな風でありたいですね。そういう時に寄り添うものが、寺や僧侶であると思っている。だから私は辛いときに頑張れとは言いません。泣きたいだけ泣けばいい。だってもう十分頑張っているんですから。そういったら本当に号泣された方もいました。何にでも相手の心に響くタイミングがあるけれど、それを見極めることも大切だと思っています。
■生きていることが学び
私の祖父は、99歳で亡くなったとき「もっと生きていて欲しかった」と門徒さんたちが嘆き悲しんだほど、居るだけで有難い、安心できるという人物だったんですが、その祖父の「浄土真宗は、いまだにわからん」という言葉を心に止めています。これって、一生学ぶことをやめてはいけないという意味だと思うんですよ。よく浄土真宗は修行がないというけれど、いろんな人に出会って話を聞くこと、生きていることそのものが学びであり修行なんじゃないでしょうか。いろんな人に会って、いろんな経験をさせていただく。そのことがありがたい。私も僧侶になったおかげで、いろんな人に出会わせていただける。これは本当に有難いし楽しみでもありますね。
■小さなご縁から大きなご縁へ
実は横須賀にはフリースクールがないんですが、いま作ろうという動きが起こっていて、横浜のフリースクールの方も援助を惜しまないと言ってくれています。これも、素晴らしいご縁です。私一人ではできない事も、いろんな人のご縁をつなげれば、大きく広がっていく。そのためなら、私は自分にできることは何でもしようと思っています。